【カンボジア・プノンペン】ポルポトの傷跡が残るトゥール・スレン虐殺博物館①
皆様こんばんは
本日は、カンボジアの暗い過去をご紹介します。
(週末の夜、楽しいひとときをお過ごしのところ申し訳ありません。)
カンボジアというと「貧困」というイメージが真っ先に浮かぶ方も多いかと思いますが、それを作り出した原因でもあるポルポト政権時に尋問という名の拷問、そして処刑の場として2年9ヶ月もの間利用されたのが、本日ご紹介するトゥール・スレン虐殺博物館です。
稼働中は存在自体が秘密だったため公式名称はなく、「S21」という暗号名で呼ばれており、現在は地名である「トゥール・スレン」と呼ばれることが多いです。

▲トゥール・スレン虐殺博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)外観
かつて高校の校舎として使われていた建物は、ポルポト政権時には拷問と処刑の場として使われいました。
当時、拷問に使われていた部屋や用具は現在もそのまま残されており、プノンペンの観光地の一つとなっています。
建物の周辺には海外から訪れた観光客を待つトゥクトゥクやバイクタクシーのドライバーがたくさんいます。

▲チケット売り場で入場料$2を払い中に入ると、正面に敷地内の地図が現れます。
当時の建物と敷地内に残された拷問用具、この場所が最初に発見された時に発見された遺体が眠る墓石で構成されています。
今回はブログでの説明用にそれぞれの場所で数枚の写真を撮影しましたが、シャッターを切るのを何度も躊躇ってしまうほど重苦しい空気が漂っていました。
また、ここで行われていたことを知っていると尚更に写真を撮る気分にはなれません。
私は亡くなった方の顔写真やあまりに残酷な拷問用具、墓石などは撮影していませんが、敷地内は全て撮影可能で、記録用に動画撮影している方もいました。

▲A棟一階の廊下で撮影
A棟は尋問室という名前ですが、実際はここで拷問が行われていました。

▲A棟の一部屋
現在も当時のままの状態で保存されていて、各部屋に拷問に使用されていたベッドと拷問用具、壁には拷問の末ベッドの上で亡くなってしまった方の写真が掛けてありました。いくつかの部屋の床には、現在も血の跡が残っていました。

▲A棟から見えるB棟
B棟もA棟と同じく拷問に使われており、B棟の中には収容者の生前の写真と、生残った方が描いた拷問の様子が展示されていました。
B棟の建物の前には大きな鉄棒のようなものと、その下に3つの壷が置かれています。鉄棒の上の方をよく見ると、フックが3つあります。

▲鉄棒と瓶も拷問の用具として、このように使われてたようです。
説明文には、「収容者の両手を後ろ手に縛り、縛ったロープをフックに掛けて上下に引っ張り上げたり下ろしたりを繰り返し、収容者の意識がなくなったところで、汚物で満たされた瓶に顔を入れ、意識を戻す」という説明が書いてありました。
趣味の悪い映画のワンシーンのようで、実際に用具を目の前にしても、これが現実に行われていたことだとは理解し難いです。

▲当時使用されていた足枷
目の前にある光景は全て当時実際に行われていたことなのに、現実離れしていて、なかなかすぐには受け入れられないものばかりでした。
重い内容なので2回に分けて更新します。
▼トゥール・スレン虐殺博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)
住所 : Street 113, Boeng Keng Kang, Phnom Penh
時間 : 7時00分〜17時30分
電話 : 023-216-045
料金 : $2
本日は、カンボジアの暗い過去をご紹介します。
(週末の夜、楽しいひとときをお過ごしのところ申し訳ありません。)
カンボジアというと「貧困」というイメージが真っ先に浮かぶ方も多いかと思いますが、それを作り出した原因でもあるポルポト政権時に尋問という名の拷問、そして処刑の場として2年9ヶ月もの間利用されたのが、本日ご紹介するトゥール・スレン虐殺博物館です。
稼働中は存在自体が秘密だったため公式名称はなく、「S21」という暗号名で呼ばれており、現在は地名である「トゥール・スレン」と呼ばれることが多いです。
▲トゥール・スレン虐殺博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)外観
かつて高校の校舎として使われていた建物は、ポルポト政権時には拷問と処刑の場として使われいました。
当時、拷問に使われていた部屋や用具は現在もそのまま残されており、プノンペンの観光地の一つとなっています。
建物の周辺には海外から訪れた観光客を待つトゥクトゥクやバイクタクシーのドライバーがたくさんいます。
▲チケット売り場で入場料$2を払い中に入ると、正面に敷地内の地図が現れます。
当時の建物と敷地内に残された拷問用具、この場所が最初に発見された時に発見された遺体が眠る墓石で構成されています。
今回はブログでの説明用にそれぞれの場所で数枚の写真を撮影しましたが、シャッターを切るのを何度も躊躇ってしまうほど重苦しい空気が漂っていました。
また、ここで行われていたことを知っていると尚更に写真を撮る気分にはなれません。
私は亡くなった方の顔写真やあまりに残酷な拷問用具、墓石などは撮影していませんが、敷地内は全て撮影可能で、記録用に動画撮影している方もいました。
▲A棟一階の廊下で撮影
A棟は尋問室という名前ですが、実際はここで拷問が行われていました。
▲A棟の一部屋
現在も当時のままの状態で保存されていて、各部屋に拷問に使用されていたベッドと拷問用具、壁には拷問の末ベッドの上で亡くなってしまった方の写真が掛けてありました。いくつかの部屋の床には、現在も血の跡が残っていました。
▲A棟から見えるB棟
B棟もA棟と同じく拷問に使われており、B棟の中には収容者の生前の写真と、生残った方が描いた拷問の様子が展示されていました。
B棟の建物の前には大きな鉄棒のようなものと、その下に3つの壷が置かれています。鉄棒の上の方をよく見ると、フックが3つあります。
▲鉄棒と瓶も拷問の用具として、このように使われてたようです。
説明文には、「収容者の両手を後ろ手に縛り、縛ったロープをフックに掛けて上下に引っ張り上げたり下ろしたりを繰り返し、収容者の意識がなくなったところで、汚物で満たされた瓶に顔を入れ、意識を戻す」という説明が書いてありました。
趣味の悪い映画のワンシーンのようで、実際に用具を目の前にしても、これが現実に行われていたことだとは理解し難いです。
▲当時使用されていた足枷
目の前にある光景は全て当時実際に行われていたことなのに、現実離れしていて、なかなかすぐには受け入れられないものばかりでした。
重い内容なので2回に分けて更新します。
▼トゥール・スレン虐殺博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)
住所 : Street 113, Boeng Keng Kang, Phnom Penh
時間 : 7時00分〜17時30分
電話 : 023-216-045
料金 : $2